こんにちはYUKIです。
今回は予告通り「引き寄せと感情の関係」について書いてみます。
引き寄せは自分の願いを引き寄せたいのですよね?
その引き寄せは一体どこから来ているのか?
というのは心羽のブログでは、神経を通っているものと同じものが現実・自分
という事を伝えています。
神経を通っているものは電気で、いわゆる反応です。
脳からの電気信号と体からの電気信号の総合関係で成り立っています。
それによってどう思うかどう動くかというのが無意識で行っていたり意識的に行っていたり・・
時にはその無意識と有意識が天使と悪魔的な例えになったりしていますよね。
脳の中でも悪魔と天使を作ってたりして。
これの正体は「選択肢の数」なんですね。
脳と体と脳の情報から作られた選択肢の複合なんです。
選択肢がたくさんある人もいれば少ない人もいる。
どちらが良いとか悪いの話ではなく、人によっても事柄によっても数は変わるって事です。
どの選択肢を選ぶか?
というのが決まっていると悩む必要もなく自然と動けて、選択肢が多いほど動けなくなるという事です。
そしてこの選択というのを脳内だけで行っている人がほとんどで、選択していると思っていても動けないパターンが出てきます。
例えば、やりたくないけどやらなきゃいけないものなどがそうではないでしょうか?
勉強しようと思っていてもついつい目の前のテレビやネットから離れられない。
しなきゃいけない家事があるけど、ついつい後回しにしてしまう。
などですね。よくありますよねw
目的があるけど、その目的を達成するまでの道のりが面倒になってしまう。
結果だけ手に入れたい。
だから引き寄せは結果だけ手に入れられる魔法のようなものだと憧れを抱いてしまう。
引き寄せは神経を通っているものと同じものを引き寄せているから、魔法でもなんでもなく誰でも起こしている事で、この神経の使い方を違う方向で使っているから望みとは違う人生を送る羽目になってしまうんですね。
既に誰もが引き寄せたものの中に住んでいるのに自覚ができていないんです。
外から見てると、引き寄せたいものと反対の反応をしているんですよ。
「この反対の反応をしている」と分かるのが感情です。
感情はあなたが決めていること(正義)に対して違うことが起こった時と、願った事がかなった時と両方で起きます。
これが感情の正体で、起こって欲しくないことと起こって欲しいことどちらも反応するのが感情です。
起こって欲しくないことは排除したいもので、起こって欲しいことは常にあって欲しいことですよね。
自分が無意識・有意識で決めている事に対して良い悪いで判断しているのが感情ということです。
これを神経・引き寄せの方向から読み解くと、あなた自身が起こって欲しいことと起こって欲しくないことの両極に対して反応している。
例えば、
起こって欲しいことで喜ぶのは特別だから喜びます。日常になると喜びは徐々に小さくなりますよね。
起こって欲しくないことで怒るのは日常から排除したくて怒ります。毎日起こっているから怒りが起こる。
神経の視点からこの反応を見ると、起こって欲しいことは一回でいいんだ。
起こって欲しくないことはずっと続けて欲しいんだ。
という認識をする感情で生きているということです。
簡単な例えなので「当てはまらない」というご意見は排除させていただきます。
感情の人間の捉え方と神経の仕組みは真逆になっていると認識するための例えです。
現代は体内を無視して生きているので、感情と神経・引き寄せが真逆になっていることに気づかないんです。
昔の日本人がそれほど感情的になっていないのか?
日本人は表現が乏しいと言われているのはなぜか?
昔の日本人は皆ニコニコしていたと言われていたのはなぜか?
この辺りを少し考えてみるといいかもしれないですね。
体や所作に気を配り、自分を磨いていた日本人の生き方の中にはちゃんと神経という神を知っていて自分だけでなく全てのものに神を発見出来ていてその中で自分の思いを叶える方法を知っている人が多かったんでしょうね。
同じ日本語を使いながらも見ているもの・感じているものは全く別物で自分を一生懸命に生きてたのだと思います。
意識・無意識・脳・体・神経
全てに対しての統合で生きてた。というのはそれはそれは大昔というところだろうけど、100年ほど前にはまだ少し残ってた概念。
それを掘り起こしながら自分の肉体と生きていくと現代でも少しづつ取り戻せますよ。
現に私は自分で探し出したんですからね。
あなた自身に感情が出てきた時、感情に変換するのではなく神経を整えて描きたい未来にチェンジしてくださいね。
目に見えているものが現実ではなく、体内が現実です。
あなたの人生はあなただけのもの。
あなた自身が自分を手放すと、周りの重要性が自分を上回り、必要ではないものを引き寄せ囲まれ自分の判断を無くします。
自分が判断しているようで実際は誰かの真似をしているだけの人生です。
誰かの人生に乗っかって自動運転をしている気分を味わっているだけの生き方です。
そこに本当の幸せや充実感があるのか?
何もなくなった時、自分という人間をどう感じてしまうのか?
そして、私がこの記事に書いている「日常」とは一体何なのか?
ちょっと考えてみてくだいね。
それではまた♪